四角の中の丸。
とくちゃんはさ、🔲の中の◯だよね。
そんな言葉を以前
人から貰いました。
自分の中に湧き出る温かくて丸い感受性。
それを「こうあるべき」「こうせねば」
そんな四角の枠に閉じ込めていませんか?
私はまさにそれでした。
いい感性だね。
すごくいいよ。
いいものを見つけた。
素直だね。
今日とくちゃんに出会えたことが収穫だよ。
視点がいいね。
直感が冴えてる。
見てる視点が深い。
沢山沢山褒めてもらうものがあるのに、
表現は
硬く。冷静である「べき」。
それができない自分はダメだ。
そう思って生きてきました。
内側にある丸い柔軟な感性を表現して大丈夫🙆♀️
と感じられた場では
とことん何か煌びやかな原石を見つけたかの如く褒めていただけるのにも関わらず。
のびのびと、安心して生きていい。
「ねば、ならない」これって誰が決めた事?
ねばならない。を選んでいるのはなぜ?
ねばならない。の先にあるのは。
自分が本当に求めている姿?
それとも、
枠にはめられた
べき、ねば。な姿だった???
ねばならないの先にあるものが
前者なのか後者なのかで、
大きく意味合いは変わってくる。
ねばならない。
はその先をしっかり見たら
苦しいものではなくなった瞬間
こうでありたい。
という表現に書き換わるものなんだな◎